#2 Beyond the High Standard

過去の自分を捨て
想像を超えた基準を築く

株式会社NEXT EDUCATION

代表取締役 中野正樹 氏

社会現象となった「ビリギャル」の教育メソッドを実践する坪田塾を全国展開しているNEXT EDUCATION。代表取締役を務める中野社長は、坪田塾がまだ無名の13年前に入社。ご本人曰く、「自分も大人版ビリギャルとして、これまで人生も仕事も駆け上がってきた」という。2018年、株式会社NEXT EDUCATIONは将来の株式上場を目指して、クレアシオン・キャピタルと資本提携の合意に至った。

この記事では、独自の教育メソッドにより成長を続ける坪田塾 中野社長のビジネスや人生で乗り越えてきたもの、行動哲学とは何か、これまでの軌跡を紐解く。そして、中野社長が考える壁の乗り越え方「Beyond the High Standard」に迫る。


強さとアメリカに
強烈にひかれた子ども時代。

中野社長は、どのような幼少時代を過ごされましたか?

背が小さくてガリガリで、よく風邪をひく子でしたね。喘息も持っていて体が弱かったこともあり、引っ込み思案な時期をずっと過ごしていました。そのための反動で強さに対する願望があって、漫画「北斗の拳」や映画「ロッキー」、「ランボー」に憧れて、大きな影響を受けたと思います。その後に、空手を始めたのも、弱々しい自分への反動がきっかけでした。

学習塾を経営されている中野社長は、やはり勉強が好きだった?

そんなことはありません(笑)学校の勉強にはほとんど関心がなく、小学校高学年から中学1年くらいまでは、仲のいい友達がやっているのを見よう見まねでやっていましたね。唯一、好きだったのが英語です。英語教師になることが夢だった父親が、買い与えてくれた子ども用の絵本みたいな英語教材が好きで、小学二年生頃から読んでいました。

その後、思春期時代に大きく影響を受けた物事はございますか?

有名なメディアアーティスト落合陽一の父親でもある、落合信彦さんです。彼の本を読むようになり、海外、特にアメリカや国際情勢全般に対する強烈な憧れを抱くようになりました。のちの留学や海外生活につながっていると思います。

アメリカ留学。
そして、警視庁に就職。

大学時代はどのように過ごされましたか?

大学は空手部とアメリカ留学がすべてでした。大学進学の動機は「1年間の交換留学制度」だったのですが、TOEFLのスコアで上位15名しか行けないことが分かり…、通学時間はひたすら英語のリスニングとシャドーイングをしていました。無事に留学できてアメリカに行って感じたのは、何よりも過去に関係なく文字通りリセットできた気持ちよさでした。

アメリカの大学院にも進級されたそうですね。

大学院は29~30歳の2年間でした。専攻はTESOL(英語教授法)だったのですが、「帰国したら30歳を過ぎるし、英語の先生でもできたら」という理由でした。留学の目的であるアメリカのキャンパスライフを堪能し、国内のあちこちをめぐり、アメリカ社会の多様性(人種、宗教)や自然を見て回りましたね。滞在中に9.11同時多発テロがあり、非常時のアメリカ社会を体感する貴重な経験を得ることもできました。

警察官を辞めて二度目のアメリカ留学

無事に大学院を卒業

初めての就職で、警視庁の警察官になられたと伺いました。

実は、就職の目的は「アメリカ留学の資金を得るため」でした。大学時代の1年の交換留学後、もう一度行きたくなったためです。警察官は、独身寮があって生活費を抑えることができ、安定した給与と賞与があるので貯金にはぴったりでした。警察官の仕事自体も楽しみました。一方で、「特殊部隊ってカッコいい」という動機で受けた特殊部隊SATの入隊訓練は、まさに修羅場の連続でした。

機動隊のレスキュー隊員だった頃

竹橋にある第一機動隊の隊舎にて

警察官を辞めて二度目のアメリカ留学

無事に大学院を卒業

特殊部隊SATの入隊訓練が、
人生の高い基準に。

特殊部隊SATでは、一体どのような入隊訓練があったのですか?

10日間の入隊訓練で体重が8キロ落ちるほど、肉体的にも精神的にも追い込む訓練でした。特殊部隊のSATは、テロやハイジャックが起こった時に、誰よりも先に危険な状況へ飛び込むプロフェッショナルです。だから、訓練がそもそも肉体と精神の限界を味わわせる内容でした。何とか訓練は全日程クリアしたものの、心が折れて最終日の面接で辞退しました。

ただ、あの極限を超える10日間を経験したことは、その後の人生において、自分の心理的、肉体的における高い基準になりました。あれから20年経っていますが、何があっても「別に大したことじゃない、死ぬわけじゃない」と思える自分がいます。私たちが坪田塾の事業を通してやりたいことも、受験勉強を通して、子どもたちの中に人生の基準を作ってあげることだと感じています。

子どもたちの中に、
新しい基準をつくる仕事。

受験勉強を通して、子どもたちの中に基準を作る?

私達、坪田塾のスタッフは職業を聞かれた時に「塾講師」と答えることにちょっとした違和感があります。というのも、単に勉強を教えている訳ではないのです。むしろ、受験勉強は人生において大切な経験をするための手段なのかもしれません。

その大切な経験とは何でしょうか?

それは、自分の限界を超え、自信をつける経験です。坪田塾は、「ビリギャル」と呼ばれる一人の女の子で有名になりましたが、「ビリギャル」は決して一人ではありません。坪田塾に通う多くの生徒が、ビリから自分の限界を超えて成長していく「ビリギャル」なのです。思春期という多感な時期に、学校のテストの点数や偏差値を知らされる度、人生これからスタートなのに「自分はもうダメかもしれない」と感じている子どもたちがたくさんいます。決してそうではないんです。

確かに中学生になった途端、成績評価に晒される感覚があります。

意識するしないにかかわらず、成績の良し悪しで友人関係までも変わってしまいます。子どもたちによく伝える言葉があります。それは、「君の過去には興味ないよ」です。大人もそうなのですが、人生まだまだ始まったばかりの子どもたちも、過去の自分の実績にとらわれ、過去を基準にして未来を決めてしまいます。「あの時、あそこまでしかできなかったから、今回もそうだろう」みたいに。しかし、心理学的に考えても、その考えは間違っています。

例えば、偏差値を40アップさせて、慶應大学に入学できた子どもにとっては、過去の自分では想像もしていなかった場所にいるわけです。このように、「そんなの絶対無理!を、やればできたにする」経験をさせてあげて、何よりも今後の人生を歩む高い基準と自信を自分の中に作ってもらう。これが、私達、坪田塾が心の底から提供したいと思っている価値です。私が20年前に経験した、特殊部隊SATの入隊訓練のように。それは、その後の人生の大きな自信、支えになります。

ずっと何かの
初心者であり続けたい。

NEXT EDUCATIONの今後についてお聞かせください。

日本の教育のあり方を根本的に変える存在になりたいです。「誰に出会うか」で人生は一変します。そんな出会いと共に、生徒さんだけでなく、塾長、講師、スタッフみんなを含めた「塾生」同士が互いに切磋琢磨できる「居場所」を提供できる塾として存続し続けたいですね。

中野社長ご自身の将来の夢や目標はございますか?

坪田塾の教育メソッドを活かして、いろいろな会社のマネジメントや社員教育の事業などにもチャレンジしてみたいと思っています。将来、定年の年代を迎えたとしても、余生ではなく、ずっと「恩送り」をしたいです。坪田塾内でも「恩はその相手に返すのではなく、先に送っていこう」という文化があります。その方が、恩が広がっていくので素敵ですよね。

最後に、ご覧になられている方にメッセージをお願いします。

人生において何事も「遅すぎる」ことはないのだと思っています。始めた時がベストタイミング。何十年後から見た時に、今を転機にしてしまえばいいんです。死ぬ瞬間まで何かの初心者でいるような人生を、ともに歩んでいきましょう!

中野正樹(なかの まさき)/ 株式会社NEXT EDUCATION 代表取締役
坪田塾創業者・坪田信貴の右腕として、本部校の校長を務め、NEXT EDUCATION代表取締役に就任。米国の大学院で英語教授法の修士号を取得。「ビリギャル」の妹(上智大学合格)を含め、これまでに800人以上を“子別”指導し、保護者・生徒から絶大な信頼を得ている。