#7 Beyond the Social Issues

手が届くか、届かないか
ギリギリの目標を立ててやり抜く

株式会社KXホールディングス

代表取締役社長 寄神 拓磨 氏

社会課題の中でも、困難なテーマ「発達障害や精神障害による生きづらさ」に立ち向かっているのが、KXホールディングスの寄神社長だ。文部科学省が「小中学生の8.8%に、学習面または行動面で、著しい困難を示す発達障害の可能性がある」と発表し、ますます喫緊の課題となっている。

そんな中、4つの事業会社により、『児童発達支援』、『放課後等デイサービス』、さらに『就労移行支援』も行うことで、「ライフステージを通じた切れ目のない持続可能な支援」を実践し、障害者福祉業界を牽引している。そんな寄神社長がこれまで乗り越えてきたものや、行動哲学とは何か。そして、未来へどう挑んでいくのか。寄神社長が考える、壁の乗り越え方「Beyond the Social Issues」に迫る。


大学時代に立ち上げたスノーボードサークル

学生時代に愛車のランドクルーザーと

親鸞の言葉で、人生観が一変。
物事をやり抜く姿勢に。

寄神社長は、どのような子ども時代を過ごされましたか?

私は京都出身で、陶芸家の両親の息子として育ちました。そのため、幼い頃は「自分のやりたいことは、どんどんやりなさい」という、右脳を軸とした育てられ方だったと記憶しています。小学校では、絵画で小さな賞をいただいたり、校長先生が話す登壇の横に置いてある花瓶が、私の陶芸作品だったりしました。

ただ、年を重ねる中で「作品を少しでも良くしてやろう!」と力が入り出すと、逆に上手くいかなくなって、小学生ながら「芸術の才能はないな…」と見切りました。当時の私は、勉強も部活もある程度卒なくこなしてしまう。だから、「まぁ、この程度で良いか」という感じで大して努力もせずに、小中高と過ごしてきました。ところが、大学で転機が訪れます。

大学時代に訪れたターニングポイントとは?

私は、地元京都で歴史のある仏教系の大学に入って、サークルを立ち上げたりしながら、楽しくキャンパスライフを送っていましたが、講義で学んだ浄土真宗の親鸞の教えが、私の人生観を大きく変えることになります。

教授が解釈する親鸞の教えは、こういった内容でした。「人の死に顔は、自分で操れない。死に顔には、その人の生きてきた人生が、現れる。一生懸命生きてきた人は、晴れやかでいい死に顔をしている」と。この教えを聞いて、「今までの人生、自分はどうだったのか。自分が満足出来るほど何かに一生懸命、取り組んだことがあったのか?」と振り返りました。それなりにはやってきたけど、突き抜けて何か努力はして来なかった…そう感じた私は、この講義をきっかけに大学を辞めました。そして、一からリセットして勉強し直して、経済界でも著名な卒業生の多い大学に入り経済学を一から学ぶことにしました。

大学時代の私は、ランドクルーザーという車が好きになり、全国的なクラブに参加していました。私は中古の安いランドクルーザーに乗っていましたが、新車のランドクルーザーはそれなりに高価な車なので、クラブメンバーは中小企業の社長さんたちが多くて、学生は私くらい(笑)。そういう方々と同じ車好きという立場で世代や地位を越えた人付き合いを学べたおかげで、“相手の懐に入って、自分の考えを打ち出す”という、私のスタイルが出来上がりました。

1社目の海外マレーシア工場視察

社会人キャリア始めの12年間は、
幅広く挑戦するフェーズとして設定。

寄神社長が独自で考えた、キャリアプランがあるそうですね。

将来、いつか起業したいという思いがあった私は、独自のキャリアプランを考えました。当時は、60歳で定年と言われた時代。社会人一年目の24歳から60歳までの36年間を、どう働こうかと考えて、干支の周期でもある12年を基準に、3分割しようと思いました。

24歳から36歳の1stフェーズ、48歳までの2ndフェーズ、60歳までの3rdフェーズです。1stフェーズでは、広く色々なことに挑戦して、自分に何が合うのか見極める期間に。そして、2ndフェーズは、見極めたものをブラッシュアップして、マネジメントできる立場になる。3rdフェーズは、何らかの分野で経営者になろうと決めていました。

この計画に沿って就職先を選ぼうと思い、JASDAQに上場したばかりで勢いもあった、写真の現像プリントショップを全国に1200店舗展開する会社に入りました。200人の全社員数に対して、新入社員の同期が50人もいて、「何でもやってみなさい」と、希望通り色々な経験をさせてくれました。

どのような経験を積まれたのでしょうか?

入社して間もない私は、フランチャイズ加盟店のスーパーバイザーになりました。FCオーナー様は、早期リタイヤした社会経験が豊富な方ばかりです。何の経験も知識もない新卒の私は、スーパーバイザー的な役割は何もできませんでした。ただ、次第にランドクルーザーのクラブでの経験が活きてきて、オーナー様の懐に入って信頼関係を築いた上で、仕事をしていけるようになりました。
ビジネスを進めるのは「人と人」です。ご一緒する取引先やお客様が、どういう背景を持って今のお考えがあるのか。そこから自分なりにその方のことを考え想像することで、相手に少しでもフィットした提案ができます。人をどれだけ理解できるかが、とても大事ですね。

“人が好き”という原点が、
リーダーシップにつながっている。

人を理解しようとする姿勢が、今のリーダーシップにも活きている?

私は、幼い頃から人が好きで、自ずと相手のことを聴く習慣がありました。たくさん聴いているうちに、その人が何を思っているのか仮説を立てて、接するようになっていきました。結果的に、信頼してくれた周りのみんなが「リーダーは、寄神がやってよ」と、仕切らせてくれたのだと思います。リーダーの仕事は、一人ひとりの強みを見つけて、相手に気づかせて、その人が活躍できる状況をいかにつくるかだと考えています。

2ndフェーズは、どのような進路を決断されたのですか?

新卒入社した会社では、スーパーバイザーを経て、商品企画の本部長、子会社の役員にもなって、キャリアとしては順風満帆でした。ただ、次に進まないと自分の成長がないと感じ、当初の計画通り36歳で転職することになります。
2社目は、とある事業再生の会社が展開権を取得して始めた、アメリカ発のファストフードを日本で展開する立ち上げ事業を3年ほど経験しました。

1社目では、100を1000にする仕事を経験でき、この2社目では、0を100にする仕事を経験することができました。次は何をしようかと考えた時に、まず「私は人が好きだ」というキーワードが浮かび上がってきました。
さらに、1社目での強烈な経験が、私の進路を明確にしてくれました。2000年代のデジタルカメラの普及を受けて写真業界のデジタル化への急激なパラダイムシフトが起こり、アナログ写真の業界自体が吹き飛んでしまったのです。自分達が懸命に手がけてきたことが、デジタルの力でほぼ一瞬にして覆されてしまいました。

その強烈な経験から、テクノロジーの進化で勢力図が一気に変わる業界は厳しいと感じて、人や社会問題を軸にしたビジネスをやっていこうと決めました。そして、進んだのが、高齢者介護業界です。

大手介護福祉企業の取締役事業推進本部長 時代

福祉の仕事は、究極のサービス業。
相手をとことんイメージしなければならない。

寄神社長にとって、高齢者介護の仕事とは?

例えば、コンビニなど多くのサービス業は、自分も顧客の立場になりえます。ところが、高齢者介護は、相手の立場に立てない仕事です。今の障害者福祉も同じなのですが、自分が当事者ではないので、とことん相手を考えて、相手の求めることを想像しないとサービス提供ができない、という究極のサービス業だと私は思っています。

この高齢者介護の会社には、全国350拠点ある介護現場の仲間に近い距離で仕事をしたいと思い、営業部長として転職しました。少しずつ仕事の領域が大きくなり、最終的には全国を束ねる取締役事業推進本部長という立場になりました。

これまで仕事で経験された、最大のピンチは?

1社目で写真業界がアナログからデジタルへ転換した当時、私は全国1200店舗で扱う商品を統括する、商品企画本部長でした。デジタル化の波に合わせて、デジカメで撮影した写真を自分で編集できるフォトブックを商品化し、一大キャンペーンを展開した所、大ヒット。そこまでは良かったのですが、全国から受注が爆発して、工場がパンクしてしまったのです。

何万冊というバックオーダーを抱えてしまい、全国の店舗から「納品はいつになる?」というクレームの電話はとめどなくかかってくるし、工場の機械はストップするしで、総責任者の私自身もパニックになって事態を改善できず、皆さんにご迷惑をおかけした経験が、かなり大きな失敗です。

ピンチの時は、事態を整理する。
そして、仲間と共に問題解決に挑む。

そのピンチをどう乗り越えましたか?

何日も徹夜で陣頭指揮を取って、頭の中も訳がわからなくなっていました。「いくらパニックになっても、問題は解決しない」そう気づいた私は、一つ一つの問題を見える化し、相関関係をつけて、問題を構造化していきました。すると、50も60もあると思っていた問題が、実は解決しないといけないのは3つくらいだ、と分かったのです。そこから具体的な打ち手を検討して実行していきました。現場の皆さんには包み隠さずトラブル改善の進捗を情報開示することで、共に問題解決に向き合ってくれる仲間になってくれたことが、何よりも大きかったです。

これからの挑戦、事業の展望をお聞かせください。

文部科学省は「公立の小中学生の生徒の8.8人に一人が、何らかの発達障害を持っている」と発表しました。労働力不足と囁かれる中で、少子化対策は必要な施策ですが、生まれた子どもたちの10人に一人が、発達障害を持っているかもしれない。障害者福祉の事業を通して、その10%の子どもたちが活躍できる世の中をつくることには、大きなやりがいがあります。私が、新たな挑戦をする時の信念は、「迷ったらやる」ということです。まずやってみて、もし失敗したら、理由を自分自身に求めます。すると、何が悪かったのか、次はどうすればよいのか、自ずと見えてきます。

寄神社長が、障害者福祉にかける思いとは?

人には「自分の居場所」が必要だと思うんです。障害者福祉の仕事は、一人ひとりの温かな居場所をつくるお手伝いでもあります。それが実現できれば、「自分の人生よかったな」と思えると思います。そのためにも、サービスの品質を担保しなければ、会社も残っていけません。KXホールディングスの仲間たちは、障害者福祉という難しい分野で、サービス品質をしっかりつくってくれていますし、本当に心強いと感じています。

また、障害者福祉の事業を通して、社会を変える意識も常に持っています。少数派のマイノリティは、いつも多数派のマジョリティが決めています。つまり、社会を変えるためには、マジョリティの考え方、意識を変えないといけません。障害者雇用で、企業と社会に新しい価値を生み出していけば、障害者への意識を着実に変えていけると考えています。

仕事をつくり、障害者の雇用を生み出す。

寄神社長が考えるKXホールディングスの使命とは?

国内企業の99%を占める中小企業の多くは、障害者雇用を考える余裕がない状況です。障害者が企業に貢献できると分かれば、障害者雇用が促進されると考えています。実際に、グループ事業会社のヴィスト、ハンズ、スプライフでは、地方の中小企業へ多くの障害者雇用を実現させています。我々は、地方の企業が持つニーズをお聞きして、そこに障害者が価値を提供できる、新たな仕事をつくっています。「仕事を作り、障害者の雇用を生み出す」この強みを活かしたスタイルで、全国に事業を広げていこうと考えています。

また、「児童発達支援」、「放課後等デイサービス」を一貫して事業化していることが、こぱんはうすさくらの強みで、他にない優位性があります。児童そして、中学、高校から就労の流れをつくる当グループの強みを、より強化したいです。全国には、160拠点のフランチャイズの教室と75社の加盟オーナー様がいらっしゃいます。それぞれの地方で、地域ニーズにフィットした療育を共に模索しながら、一緒に成長していきたいですね。

こぱんはうすさくら

寄神社長が目指すIPOの意味とは?

私にとってIPOは、広く世の中に障害者福祉を知っていただく機会でもあり、社会の意識を少しずつ変えていく、重要なミッションだと考えています。そのためにも、クレアシオン・キャピタルの存在は重要です。福祉の業界は内向きの世界で、自分たちの事情だけで、物事を狭く見て判断しがちです。クレアシオン・キャピタルは、理念を深く理解してくれる仲間でもありながら、冷静に外からの観点を意識させてくれつつ、共に伴走しながらIPOを目指してくれる唯一無二の存在なので、非常に有難いですね。

最後に、ご覧になられている方へメッセージをお願いします。

誰にとっても平等な時間を、どう意識して使うかが、すごく大切だと思います。私は、“今、取り組んでいることが、一体どれくらいの成長の角度がついているのか”を常に意識しています。ぜひ、過去の自分と比べて背伸びして背伸びして、届くか届かないかのところに高く目標を設定してみてください。ぜひ、「自分の人生、やりきった」という笑顔で、共に人生をやり抜きたいですね。

寄神 拓磨(よりがみ たくま)/株式会社KXホールディングス 代表取締役社長
1973年生まれ。98年に立命館大学経済学部を卒業。新卒入社したベンチャー企業で、商品企画本部長、役員を経て、著名な事業再生会社へ転職。その後、高齢者介護を手がける大手事業会社にて取締役事業推進本部長を務め、社会課題解決とビジネス躍進の両面において成果を挙げてきた。2022年7月、KXホールディングスの代表取締役社長に就任。