ピンチの時こそ守りに入らず、自ら欲して行動する。
ご自身で限界の突破を感じたエピソードを教えてください。
ピルボックスジャパンを起業して3~4年ぐらいの時に、キャッシュフローが結構苦しく、会社を存続できるかどうかという危機がありました。乗り切った今から振り返ると、一番限界を感じた時でした。われわれのビジネスは物を作っているほうに払うお金が先で、今度は物を売って回収するまでが長いわけです。商品がある程度売れ出せばいいのですが、売れるものが出ないと在庫が増えてしまって、資金繰りが当時はてとも苦しかった。
その当時、どうやって栖原社長は乗り越えられたのですか。
われわれメーカーは新製品をどんどん出していく。そういう活力がなくなると企業はしぼんでしまうので、駄目ならばしょうがない!という感じで出していく。むしろ攻めることで、危機を乗り越えられました。やはり、何かを自分から欲して動くことによって、道が開けてくることが多いと感じます。待ったり守りに入ると、逆にシュリンクしていく。とにかく欲して動いたほうが、結果的にいい方向へつながっていくことは、どのシーンを振り返ってもすごく思いますね。要は、待っているより一歩進んでノックしてみる。そして扉が開いたら、今度は扉が開いたところから、そこにある中のどれが欲しいんだ?ということは考えますが、まずは動かないと。
正解を先読みすることも大切ですが、それよりも自分で欲して1歩を踏み出すという。
そうです。たくさんある情報の中から、自分で選んで決めて、その道を一歩前に進む。ただ、チョイスが多過ぎて迷う場合は、そこに自分が欲しているものがないということ。その場合は、「そこに行きたい!」と欲する自分が出てくるまで、チョイスをさらに広げてみることが大切ですね。
こんなに可能性のある時代はない。前例にとらわれないユニークさで価値を生んでいく。
仕事において、栖原社長が大切にされていることはありますか?
やはり前例にとらわれず、前に進んでいくことです。あとは、やはりグローバルの視点を持ちながら日本の市場に合わせていく「Think global, Act local」という考え方ですよね。成功している人は、非常にグローバルな視点を持ちながら、日本的なアクションができている。
ピルボックスジャパンの今後についてお聞かせください。
おそらく今までピルボックスジャパンは栖原商店だったわけです。そのままでは企業活力は衰え企業の成長は止まってしまうと思っていたので、栖原商店からピルボックスジャパンをよりパブリックな会社にしていきたい。一つの試金石は上場です。そして、僕がいなくなってもピルボックスジャパンは一つの有機体として未来永劫存続し、社会にとって非常にバリューがあるような会社だったらいいなと思います。得意先などから、創業から面白いことをやるねと言われてきたので、ピリリとしたエッジの利いたユニークな会社になっていってほしいです。
前例にとらわれないがキーワードですね。
そうですね。やはり新しいこと、ボールを投げ続ける企業であってほしい。
最後に、ご覧になられている方にメッセージをお願いします。
とにかく今は、可能性がすごくある時代だと僕は思っています。いい時代だと思いますよ。ビジネスの環境は10年前に比べても、ファンドさんの協力、M&Aで一つの企業体として息を吹き返したり、良さを見出してもらって大きくなるということもあるので、選択肢を広くしながら方向性を強く持っていってほしいです。
今だったらECなどいろいろなことを投資額は少なく、すぐできるわけですよね。こんなにオポチュニティ、可能性のある時代はないと思います。いい時代なので、いいチョイスをしてください。可能性は無限大です。
栖原 徹(すはら とおる)/ ピルボックスジャパン株式会社 代表取締役社長
1963年生まれ。83年に国士舘大学政経学部を中退し、ハウスクリーニングのフランチャイズ店オーナーとして独立。その後、外資系の食品メーカーなどでマーケティングの経験を積み、米国発のサプリメント会社で先進の商品にも触れ、マーケティングとサプリメントに関して集積したナレッジを生かしきるべく、02年にピルボックスジャパンを設立