#5 Beyond the Rules

既成の枠を超え、チャレンジし
続ける事こそが仕事

ファンタジーリゾート株式会社

代表取締役社⻑ ⼭﨑 聖⼀郎 ⽒

⽇本最⼤級の規模を持つ室内遊園地「ファンタジーキッズリゾート」は、1,000坪を超える広⼤な室内に、⼦どもたちの想像⼒を刺激する充実したアトラクションが満載。業界屈指の規模を誇る今も、常にチャレンジする姿勢は、⼭﨑社⻑の信念が⼤きく影響している。

この記事では、既成概念にとらわれない新しい価値を⽣み出す事業を展開してきたファンタジーリゾートの⼭﨑社⻑が、ビジネスや⼈⽣で乗り越えてきたもの、⾏動哲学とは何かこれまでの軌跡から紐解く。そして、⼭﨑社⻑が考える壁の乗り越え⽅「Beyond the Rules」に迫る。


ピンチは逆転の発想で乗り越える。

⼭﨑社⻑は、どのような幼少時代を過ごされましたか?

東京⽣まれ、埼⽟育ちです。郊外で草むらしかなかったのですが、幼い頃は⽇が暮れるまで野球やサッカーをしていましたね。⼩学校では柔道を始めて、⼦どもながらにずっと続けるものなんだ、と深く考えずに6年間継続していました。⼈より⾃我が⽬覚めるのが遅かった気がしますね。そのために朝4時起きの⾟い寒稽古などもあまり疑問を持たずに平気でやっていました。続けた甲斐あって、⾼学年では地元の⼤会で決勝まで⾏ったこともあります。

6年も継続した柔道を辞めて、中学ではバレーボールに転⾝されています。

当時よく放映されていた実業団の試合をテレビで⾒て、「やってみよう!」とスイッチが⼊りました。⼩学⽣時代の親友もたまたまバレーボールをやるつもりだと分かって、⼆⼈でバレーボール部に仮⼊部したのですが、なんと私たち⼆⼈しか⼀年⽣がいなかったんです。これじゃ試合もできないと思って、⾃分たちで部員のリクルーティング活動を始めました。結果的には新⼊⽣が約20⼈にまで増えてしまい、今度は逆に⾃分たちが試合に出られないぞとなって、必死に練習することになりました(笑)

⼊部を諦めるのではなく、部員を増やす。中学⼀年⽣ながら、すごい発想の転換です。

その後、⽇本代表で活躍されていた⼤林素⼦選⼿に憧れて、⾃分も将来、代表選⼿になりたいと思ったのですが、男⼦は190cm以上という⾝⻑が求められる中、給⾷で余った⽜乳を飲み続けるなどしてもなかなか⾝⻑が伸びずに断念しました。諦めきれずに、⾼校に⼊学してから⼀瞬バレーボール部に⼊部したのですが、やはり⾝⻑の壁を感じてすぐに軌道修正しました。そこで⼊部したのが、たまたま⽬に⼊った登⼭部だったんです。

⾃分なりにやり抜く。そして次のステップへ。

ご⾃⾝なりにやり切ってから、次の分野に進まれたのですね。

登⼭部は普段、筋トレなど地道なことばかりで始めた頃は嫌でしたね。ただ、いざ登⼭を始めると登っている最中はずっと⾟いのですが、登頂した時の達成感がたまらない。それがクセになって3年間継続することができました。登⼭部の時に、スキーで滑り降りながら下⼭する⼭スキーに出会って、登⼭より⾯⽩いんじゃないか?(笑)と思いまして、⼤学ではスキーを本格的に始めました。

体を動かすことが好きなのですね。

はい。柔道やバレーのように、スキーも⾝になる⼿応えを感じてみたいと思ったんです。それに、何でも1〜2年はやってみないとわかりません。まずはチャレンジ、そして継続です。スキーでは、国体に出ることを画策し、秋になると神保町界隈のスキーショップで店員をし、雪が積もりだす12⽉頃から⻑野に移り春までスキー場で⽣活していました。4年時には⻑野のスキースクールで主将にまでなったのですが、後輩に国体選⼿が⼊ってきたのを⾒て唖然としました。幼少から練習している彼らは段違いのレベルで、技術が全然違うんです。私はなんとかスキーインストラクターの資格は取りましたが、そこまででした。

やり抜かれる姿勢は変わらないですね。そして、⼤学時代には渡⽶もされています。

⼦どもの頃から漠然と憧れを抱いていた渡⽶を果たすべく、シアトルで⼗数か国から集まった同年代の若者と環境保全ボランティアに参加しました。各国から3-4⼈ずつ優秀な若者が参加していたのですが、やはりカルチャーショックを受けましたね。ケニア、ドイツ、ベトナム、ロシア、コスタリカから来た⼈たちと⼀緒のチームだったのですが、ロシアの⽅は親戚に頭を下げてお⾦を借りて来ていましたし、コスタリカは往復20⽇かけてバスで来ていて驚きました。前提の背景だけでも⼤きく違ったんです。

刺激や違いに惹かれる⾃分との出会い。

ボランティアでの仕事ぶりも違いそうですね。

ケニアの⼦たちは飽きると働かないのですが、集中したらものすごく⾺⼒もあってぐんぐん事が進みます。ベトナムやスリランカの⽅が朝⾷係の時は、⽣の⼈参に苺ジャムがかかっていたり、メニューの違いにビックリしました。⼀⽅で、⽇本⼈とドイツ⼈はやはり合うなと感じましたね。これまでの常識を超えた新しい常識に触れた⼀⽅で、⽇本に戻りいつもの⼭⼿線に乗る⽇常が極めて⽇常過ぎて、そのギャップに何だかすごく悲しいカルチャーショックを受けてしまいました。

帰国されてから、またカルチャーショックを?

アメリカでは新しい経験に触れることは刺激的だったのですが、⽇本は良くも悪くも標準に収まる⽣活ができてしまっている。すべてが平均的な景⾊に⾒えて、すぐにアメリカに戻りたいと思ってしまいました。そういう違いが⼼地よかったんですね。

どん底を味わった⾶び込み営業から転職。
新規事業⽴ち上げで⾃ら道を切り開く。

社会⼈はどのようにスタートされましたか?

いずれかの業界で⼀番の企業から社会⼈⽣活を始めたいと考えて、花卉(かき)業界トップの企業に⼊社しました。⾶び込み営業だったのですが、当時の⾃分にとっては⼤変な仕事でした。学⽣時代の経験から刺激的な事が好きだと分かった反⾯、会社で決められた事をするのは慣れるまで時間がかかりましたし、ビルの中にある全ての会社に⾶び込み営業するのは、精神的にもきつかったですね。そのおかげでストレス耐性はつきました(笑)

その後、IT業界に転職されていますね。

時代の流れに乗って、インターネット業界に打って出ようと思い、住友商事100%の⼦会社に転職しました。インターネットについて初めはよく分からなかったのですが、実際やってみると⾯⽩くて、この辺りからマーケティングにものめり込み始めました。当時インターネットの最先端だったアメリカ⻄海岸の成功モデルを、⽇本に取り⼊れて企画する担当だったのですがなかなか形にならず…。結局は、元々のミッションとは違って⾃分独⾃で考えたフラワーギフトECの新規事業企画が採⽤されて、新会社を設⽴することになりました。

今はメジャーになっているフラワーギフトの先駆けですね。

⼤⽥市場を通さず、全国の農家から直接花を仕⼊れる新しい仕組みをジョイントベンチャーで作ったんです。その時に感じたのは、「ルールの中で勝つよりも、最初にルールを⾒つける、最初にルールを作ることの⼤切さ」です。イイハナ‧ドットコムという会社を作って出向し、マーケティングディレクターとして4年間在籍したのですが、事業の売却を機会に転職しました。

マーケティング道を極めるための転⾝。

事業会社からアフィリエイトのサービス提供会社へ転⾝されています。

マーケティングの視野をより広めたいと考えて、デジタルマーケティングの企業に⼊社しました。事業会社の持つ課題を預かった上でマーケティングの視点で解決して、売り上げを改善することに携わって⾏こうと思ったんです。この会社で7年間在籍した後に、マーケティングの道を極めるのであれば外資系の化粧品だなと思い、某有名化粧品メーカーに⼊社したのですが、初めての外資系で本当に苦労しました。私より上にいる役員、社⻑は全て外国⼈で仕事の仕⽅、⽂化への柔軟性を求められ、外資系の厳しさを学びました。そんな時に東⽇本⼤震災が発⽣して、外国⼈の上司たちは皆帰国してしまい…。会社再編のタイミングにも重なり経営陣が⼊れ替わることで⼤きな⽅針転換を迎えるなど、また別の意味でも⼤変な時期でしたね。

その後、⼤⼿おもちゃキャラクター事業会社のアジア拠点で駐在されています。

海外のマーケティング実践を⽬的に⼊社して、⾹港に6年間駐在しました。学⽣時代の異⽂化体験やその後積まれたキャリアと経験が⾃分の中でバランスが取れはじめて、柔軟性も活かしながら充実した毎⽇を過ごせたのがこの頃です。⽇本のマンガやアニメ⽂化にリードされるキャラクタービジネスは海外でも圧倒的な強さがあり、マーケティング次第でものすごく売れるんです。本当に強かった。⾹港、台湾、シンガポールとEC事業を⽴ち上げ、ある程度の成果も得ることができ、⼀区切りしたタイミングで、ファンタジーリゾートに参画することになりました。

ファンタジーリゾートに参画しようと思った理由は?

少⼦化で⽀持される⼦ども向けサービスと、マーケティングによる事業再⽣というクレアシオン‧キャピタルのテーマに共感したからです。また、少⼦化が叫ばれて久しいですが、⼦どもの集まるサービスがとても貴重な「場」となっていることも⼤きい。ファンタジーキッズリゾートは、競合を圧倒する規模と充実した遊具で優位性を出していますが、サービスの価値は時間とともに低減しどんどん下がります。⼀回⽬に感動しても、⼆回⽬はその度合いが薄れる。三回⽬はもっと慣れてきます。だから、初めての時と同じように感じていただく⼯夫を続ける使命が私たちにはあるのです。つまり、新しいチャレンジをし続けることこそが仕事です。そのチャレンジにこそ、仕事の価値が⽣まれる。チャレンジし続けないと、サービスを⻑く続けていくことは難しいと考えています。

アジア4地域のEC事業⽴ち上げを担当した
⾹港駐在時

⾹港帰任後に⽶国向けEC事業担当で
ニューヨーク出張

ピンチは⾃分の器を⼤きくできるチャンス。

逆にピンチの時はどう考えますか?

ピンチの乗り越え⽅は、特に前例のない場合は、ルールを⾒つけることがポイントだと思います。ビジネスであれば、新しいルール、つまり新しいビジネスモデルを作るといったイメージです。また、ピンチになった時は、「⼈の器」だと⾔われます。私の場合は、学⽣時代や社会⼈駆け出しの頃は器が⼩さかったから⾟いことも多かった。でも、それを乗り越えたら、次はそこまで⾟くない。その⾟い経験、器からこぼれるような経験をいかに早く繰り返し積み重ねておくことが⼤切です。⾔い換えると、ピンチは⾃分の器を⼤きくするチャンス。今乗り越えると、次は乗り越えられると考えるとチャレンジできます。

⼭崎社⻑の今後の⽬標を教えてください。

「マーケティングを科学的に⽰す」というのが信条ですが、⼀⽅で数値化できない取組みやそれによる効果もあるのがマーケティングです。そういう部分を証明するメソッドを積むためにもチャレンジを続けたいですね。それが、ファンタジーリゾートのIPO実現に繋がると思います。野球では3割バッターは優秀とされますが、事業で取り組む新しいチャレンジは10回に1回当たるかどうかの世界。この可能性を⾼めるのがマーケティングの役割です。これからも常にチャレンジし続けて、既成の枠を超えて、成⻑を続けていきます。

⼭﨑 聖⼀郎(やまざき せいいちろう)/ファンタジーリゾート株式会社 代表取締役社⻑
⼤学卒業後、花卉業界からキャリアをスタート。新⼈営業マン時代は苦戦するも、転職後に⾃⾝が企画したEC事業の⽴ち上げ成功をきっかけに、本格的にマーケティングの世界へ。以降はマーケティングのプロフェッショナルとして、外資系化粧品メーカーや⼤⼿キャラクタービジネス企業の海外赴任で活躍。⼤きな実績を残し、2021年よりファンタジーリゾート株式会社の代表取締役社⻑に就任。